「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」の何がそんなに面白いのか考えてみた

 

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昨日、ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(BotW)をうっかりクリアしてしまった。

「無限とも思えるやりこみ要素をこのまま楽しみ続けたい」と思い、本当はクリアしないよう抑えていたのだが、やりこみ要素の内の1つを追いかけるうちに、図らずもクリアしてしまったのだ。

そんな経緯もあり、僕はもう語るに十分、ハイラルの大地を駆け巡ったわけであるから、ここに、本作についての所感をまとめてみようと思う。

BotWの何がそんなに面白いのか考えてみた

本作の "ゲームシステムの自由度の高さ" については、すでに、各所で触れられているとおり素晴らしいものだ。ただ、この記事は遅すぎるほどに後発であるから、話の幹であるストーリーとゲームシステムとを絡めた話として書いていきたいと思う。

(※微妙にネタバレがあるかもなのでご注意)

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特筆すべき「リンクとプレイヤーがシンクロできる設定」

「追憶」。本作のストーリーを一言で語れ、と言われたら、僕はこの言葉を選ぶだろう。

ゲームスタート時、主人公であるリンクは何の脈絡もなく、いきなり、よく分からない場所で目を覚ます。

「ゲーム開始時、リンクがまだ自分の使命を理解していない」という設定はゼルダにはよくあるものだ。しかしながら今作では、自分が住む街はおろか、家族、家、といった何もかもが無い状態からゲームがスタートする。

何も知らないのはリンクだけではない。当然、プレイヤーも何も知らない。お互いに分からない者同士である。

他誌ではあまり触れられていないが、この導入部のシチュエーションにプレイヤーは少なからず動揺する。しかし、後に振り返ると、この時すでに、プレイヤーとリンクの気持ちはシンクロしていた事に気が付くのだ。

生きていくために敵と戦う。そして、果物やきのこを捕り、魚を捕り、虫を捕り、動物を捕る。そして、それらが料理できる事を知り、崖を登り、空を飛ぶ。寒さや暑さを体験することもある。

何も知らないところから、プレイヤーとリンクはハイラルの大地で生きていく術を共に少しずつ覚えてゆく。覚えた分だけ自由が広がる。それが当初の流れだ。

今作のリンクはとにかく、よく食べ、よく動く。それに表情も豊かだ。

そんな血の通った今作のリンク(=プレイヤー)だが、ストーリーが進むにつれ、亡き盟主・盟友と時間を超越して再会したり、リンクを直接知る人物や種族と遭遇したり、また、自分が伝説として書き残されていることを知ることになる。

想いを寄せてくれた人の亡霊との再会は号泣ものの感動シーンであるし、また、特別なスポットへの訪問が、リンクの記憶を断片的に取り戻すこともある。

そうした "記憶の取り戻し過程" の全てがプレイヤーとリンクの共通体験であり、プレイヤーの知らないことはリンクも知らない。その一体感が格別だ。

冒頭、何の脈絡も無いかのように見える場所からゲームがスタートしたとき、リンクとプレイヤーはまったく同じ気分であっただろうし、道中、リンクを一方的に知る人に出会った時に感じる「いや、オレは知らないんだけど」みたいな距離感に至るまで、リンクとプレイヤーの気持ちは常にシンクロし続ける。このシンクロ感は、作中、常に一貫しており、没入度を高める良いエッセンスとなっている。

本作の物語の幹は大きく2つある。1つはもちろんラスボスを倒すメインルート。そしてもう1つは、リンク自身の記憶の取り戻し、だ。

そして本作の末恐ろしさの一端は、この「記憶を取り戻す」という部分がやりこみ要素の1つと位置付けられており、ゲームクリアのための必須要素とされていない、という部分だ。

これはつまり、「自分=リンクが、何をどれだけ思い出してから自分の運命と対峙するのか」、その加減がプレイヤーに委ねられている、ということなのだ。

本作は各所で "壮大" と評価されているが、その理由は、マップの広さや行動の自由度だけでは決してない。

もともと、先に挙げた2つの幹が絡まりあって描かれた物語自体が壮大なものであり、広大なマップに散りばめられた "時間を超えたストーリー" や遺物の数々、そして、オープンワールドの開放感と行動の自由度がそれを彩っている、という構造なのだ。

そして、プレイヤーの裁量でどこまでも掘れるゲームのバックストーリーが本作の底知れなさを感じさせ、全体としてスケールの大きな作品へと昇華させている。僕はこの作品をそう捉えている。

高い自由度と制約。相反する2つの納得感の不思議

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自由度の高さばかりが強調される本作だが、リンクに一切の行動制約が課せられていないわけではない。

まず、大きな制約としては、武器・盾の寿命と最大所持数が挙げられるだろう。

BotWの武器にはそれぞれ寿命(耐久性)が定められている。具体的には、1本の武器が任意の敵に与えられる総ダメージ量に上限が設定されているのだ。さらに、持てる武器の数にも当然ながら制限がある。この2つの要素は、任意時点でリンクが倒せる敵の強さの上限として機能しているのだ。(これ自体はよくある仕組みであり、珍しいものではない)

この上限は料理のテクニックで多少カバーできたりもするのだが、そのためには面倒な素材の収集が必要になる。だからこの制約は、自分自身の力を強化したくなる十分な動機として機能しているのだ。

移動の自由度に関しては、「パラセール」と「のぼる」という2つのアクションにより、3次元的な開放感ある移動が可能だ。

ただし、いずれも「がんばりメーター」の限界値(こちらも料理で対策できるのだが)により、その行動範囲は制約されている。

つまり、経済的合理性を保ったまま探索エリアを広げるには、自分のがんばりメーターを強化する必要があり、これは、ハートの数と併せて、自己強化の動機として機能しているわけだ。

究極的には全てが何とでもなる本作ではあるが、通常プレイ時にはこれらの経済的制約が不可欠かつ素晴らしい障壁としてゲーム進行を多少なりともルールし、自由と秩序を両立をさせる鍵となっている。

ここで挙げた制約は一部でしかなく、本作にはその他にも数多くの制約・障壁が導入済みだ。それらと自由度の高さとは相反するわけだが、しかしながら、プレイヤーからこれだけ「自由度が高い」という評価を受け続けるのは、その制約群の巧妙さゆえと言えるだろう。

事実、BotW において多くの制約は回避可能だが、それらにはコストが設定されており、そこが高評価のカラクリなのではないか、というのが僕の見解だ。

常用するには経済的でないかトリッキー。しかし、その制約は一時的に回避可能。という自由度。こういう経済的制約をゲームに持ち込んだことが、通常プレイ時の秩序を保ちつつ、プレイヤーから自由度の高さを評価されている背景にあるのではないだろうか。(中には低コストの回避技もあるところが、このゲームをより深くしている部分ではあるのだが)

典型的でないルートへ逸脱してもストーリー的に破綻しない BotW の懐の深さと、行動自由度の高さとの匙加減。その素晴らしさはまさに芸術的だ。自由度が高いから、時間が無いから、と言って尻込みしている人がいるならば、それらは、BotW をプレイしない理由にはならないのである。

ゼルダらしいパズル要素も満載、3D+ジャイロでもまぁ快適

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ゼルダと言えばコレに触れないわけにはいかない、という謎解き要素について。

本作でも、「そう来るかー」と唸らせる、ゼルダならではの謎解きが満載。かなり楽しませてくれる。

謎解きの多くは各地の祠でチャレンジ可能。謎を解くと、ハートのかけらに相当する「克服の証」がもらえるため、プレイヤーのモチベーションも上がる。

本作の謎解きは、3D要素や物理演算系がてんこ盛り。特殊能力のマグネキャッチやビタロックなどでジャイロを併用するシーンも少なくなく、操作性も悪くない。

ゼルダでジャイロ。と聞くと、僕なんかは Wii U 版「風のタクト」の対ゴードン戦で経験した「操作性との戦い」を思い出すわけだが、本作ではああいう不快なシーンは少ない。

Rスティックでの視点移動+ジャイロというスプラトゥーン的操作で、ストレスも結構少ない部類。特に、ジャイロに関しては、弓のエイムなど、まんま、スプラトゥーン的な操作感と感じる。

難点はあるが、プレイすれば気にならなくなる。完成度は高い

正直なところ、僕はプレイ当初「これはベセスダが作った劣化版 Skyrim なんじゃないか」と割りと本気で思っていた。

自由度も、ストーリーのスケール感も、そして性能面でも、PC 版 Skyrim と比べて目に付く部分が多い。そう思っていた時期があったわけだ。しかし、ゲームが進むにつれ、次第に「これが任天堂が考えるオープンワールドRPGの解なんだ」、そう捉えられるようになってきた。

様々な思惑を持った人が蠢き、選択肢によってストーリーが大きく変わる Skyrim では、自分の信条が試される選択肢もある。序盤ではそういった選択肢の薄さが気になったが、そういった要素は任天堂らしくない、ということだったのだろうか。ともかく、本作ではそのような枝は用意されていない。けれども、広大なマップのどこで、何を、どんな順序で発見するのか、しないのか、により、本作の感じ方は人によって大きく変わるはずだ。

マイルドなスカイリム。というと、引き算に思われてしまうかもしれないが、その分、健全な探検心をくすぐる要素と報酬は盛りだくさんだ。景色やマップは見ているだけでそこに行ってみたくなる場所ばかりだし、各地に隠された祠やコログの探索は、攻略サイトを見たとしても、それだけで相当な時間を要するだろう。
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PS4 やハイスペックPCのゲームに慣れた身には、重い場面でのコマ落ちが気になる場合もあるかもしれないが、それも、中盤になる頃には慣れるだろう。

また、「任天堂的な毒気の少ない世界観」自体を評価する人も少なくないはずだ。そういうフィルターを通した最新ゲーム。という意味でも、価値のある作品と思う。

プレイヤーはリンクとなり、記憶を辿る旅をする。そして、自然と使命へと合流してゆく。これこそ、まさにロールプレイングゲーム。その本筋を見事に貫いた超大作である。と、本稿ではべた褒めさせてもらいたい。

まだまだ書きたいことは尽きないが、長くなってきたので、最後にする。

あまりにハマりすぎて、実生活で、

「ハイラルに帰らないといけない気がする」
「地球ってリアルワールドやん」
「あの鉄塔、1本だけ色が違う!」

と割と本気で思っていた時期があることを告白して、筆を置かせていただく。

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※この記事は2017年3月24日に公開。その後、ブラッシュアップをしています。

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