「日本版Surface Goが高い、は誤解」は誤りである

 

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「日本版 Surface Go が高いという意見は誤解である」との論を某大手サイトで見た。

各ライター個人の見解、という体こそとってはいるものの、僕は、そこに巧みな誘導や恣意すら感じてしまった。

果たして、提灯を持たなければならない事情がおありなのか、あるいは、ライター氏の認識に問題があるのか、そのあたりの事情や背景は分からないが、とりあえずここに、最近あちこちで散見された Surface Go の提灯記事らしきものを読んだ上での、僕の感想を書いておく。

気になったのは、主に以下の4点だ。

  1. 今どき、会社の仕事を自宅に持ち帰って、自分のPC上で作業させてもらえる会社は多くはない。
  2. もうかれこれ数年は、Microsoft の Office 系ファイルを個人間で受け渡す機会はなかった。(数百人規模の趣味のコミュニティでも、だ。)
  3. 国内向けのOfficeは、モバイルPC等、2台目へのインストールが無料で可能だが、そのあたりへの配慮不足の指摘が足らないのではないか。
  4. たとえ総論として Office 付きPCを求める声が多数派であったとしても、それを論拠に、Office の抱き合わせ販売による高価格化を受け、「高い」と感じた人々の意見までは否定できない。ましてや、「誤解」と評するのは、消費者軽視と言える。

中でも、特に看過できないと感じたのが「4」だ。

抱き合わせ販売の弊害を舐めちゃいけない

もちろん、メーカー・販売店側にも理屈は色々とあることだろう。作り手、売り手、そして買い手、それぞれにリーズナブルなラインや、無理なラインというものがあるものだ。

ただ、供給側の事情と、各消費者が商品内容と価格設定に対してどう感じるのか、は基本的に別の話になる。

今回の「Surface Go」は、買い手の一部にとって納得感のある商品内容・価格ではなかった。だから消費者側から不満の声が挙がったわけだ。まず、ここを否定してはいけない。

そして、僕がここで問題提起したいのが、ある方が某大手サイトの記事の中において、「高いというのは誤解である」と断言していたことだ。

僕は、これは消費者側の視点から見て、どうかと思う。

なぜなら、「Surface Go」は一部の個人ユーザーにとって、不要なソフトとの抱き合わせ販売しかない製品と映っているからだ。それらの人々にとっては、不用品をセットで買わないと目的の製品を手に入れられないわけだから、「高い」という評価になるのは無理もない。

「抱き合わせ販売の内訳を見れば個々の価格はリーズナブルであるから、高いという意見は誤解である」という意見は通らない。抱き合わせ販売されるソフトウェアが、たとえ、多くのユーザーが必要としているものだとしても、だ。

それぞれを単体で購入できるのならば、その意見も通ろうが、個人ユーザーにとってはそうではないのだから仕方無い。実際に高いと感じたユーザーの意見を「誤解」と捉えることは無理筋でしかない。

高いことと抱き合わせ販売であることは不可分なのだ。

これは、どのような文章で納得感を演出しようとも変わらない、曲げようがない事実である。この点において、消費者の意見をすり潰せるとは思わないことだ。

僕は、この場で今回の Surface Go の抱き合わせ販売が独占禁止法に抵触するものであることを判断できる立場にないが、少なくとも、日本には独占禁止法があり、その保護法益が自由競争秩序維持にあり、さらにその背景に「一般消費者の利益を確保する」という目的があることを鑑みれば、個人ユーザーにとっては抱き合わせ販売以外に選択肢がなく、それがために値付けが高くなっている状況を俯瞰して「高いのではない、選択肢の問題である」と敢えて切り離して見せることは、Office を不用品と捉えた消費者から見て「不誠実」と映っても何らおかしくはない。

販売サイドも、そしてメディア側すらもがこういう感性を持ち合わせていないとするならば、それは悲しいことと思う。

もちろん、製造・販売サイドとして、自らにとって都合の良い話を意見として表明することは大いに結構と思う。商業的にラインナップを揃えないという判断もあろう。ただ、ソレとコレとは話が違う。ソレに対する消費者の評価は、あくまでも独立したものとして尊重されるべきだ。

ユーザーの一部(あるいは多数だったのかもしれない)は Surface Go に夢を見た。そして、そこにはプリインストール版の Office の姿は無かった。そういうことなのだ。

今回の抱き合わせ販売に納得がいっていない一定数の消費者。そのそれぞれに、Surface Go をこう使いたい、ああ使いたい、という思いがあったはずだ。

国内版「Surface Go」は、そういった思いの一部を取り逃すことになる。それが、この機種が背負い歩いてゆく道だ。

一方で、小型軽量のガジェットが持て囃されるお国柄だけに、この価格設定でもあの小ささと軽さなら一点突破である程度は売れるかもしれない。

例えそうであったとしても、ソレはソレ、コレはコレなのだ。日本マイクロソフトも、各メディアも、今回の消費者の評価は甘んじて受けなければならない。

某氏は、法人向けモデルが個人向けに販売されないことが最大の問題であると締めくくっていた。察するに、恐らくは全てを理解した上で敢えて「高いのは誤解」と書いたように思えなくもない。

いずれにしても、一部の消費者が「Surface Go」に見た景色は、国内発表前より色あせたものになってしまった。

Windows の未来が無くなった、とまでは言わない。

ただ、その未来は、少し狭くなってしまったようだ。

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